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2011年02月11日

藤原京をつくったのは?

木簡の解読文字数、49に倍増…奈文研再調査で(朝日新聞より)

天智天皇の近江大津宮に関連するとみられる大津市の北大津遺跡(7世紀後半)から出土した「音義木簡」を、奈良文化財研究所が約30年ぶりに再調査したところ、解読できた文字数が、当初の約2倍の49文字に増えたことが、わかった。 

漢和辞典のように漢字の訓読みや意味を示した木簡で、情報量が増えたことによって、より詳細な研究が可能になり、日本語の音韻や漢字を使った表記の変遷をたどる上で貴重な史料になりそうだ。 

木簡(長さ68・5センチ、幅7・4センチ)は1973年度、滋賀県教委の調査で出土。同県内で初めて見つかった木簡で、同県警鑑識課が撮影した赤外線写真を使って調査した。その結果、77年に、約50文字が残り、うち26文字を解読できたことが報告された。 

1.天智天皇とは?

中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が即位して、天智天皇になりました。

中大兄皇子と言えば、“大化の改新”を思い浮かべるかと思います。

大化の改新とは、645年に中大兄皇子と中臣鎌足が、天皇中心の国家体制を作ろうと蘇我氏を倒したことをさします。

その後、646年に改新の詔を出して、公地公民、全国を国、郡、里にわけ、戸籍を作り、班田収授法を行い、租税の制度を整えました。


2.大津京とは?

以下、大津市歴史博物館HPより

天智2年(663)、日本は百済(くだら)を救援するため朝鮮半島へ出兵した。

しかし、日本軍は白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗し、日本はいつ唐軍に攻められるかという緊迫した状況を迎える。

こうした東アジアの情勢の下、天智6年(667)、天智天皇によって飛鳥から近江への遷都が行なわれる。

大津京の誕生である。

国の中心となった大津京では、初の戸籍「庚午年籍(こうごねんしゃく)」の編成などの政治改革が進められた。

しかし、天智10年(671)、天智天皇が崩御すると、翌年大友皇子と大海人皇子との間で壬申の乱が起こり、乱後再び飛鳥へと遷都される。

大津京はわずか5年余りの都であった。

大津市歴史博物館のページです。

大津は、今の滋賀県にあります。

なお、滋賀県の県庁所在地は大津市です。


3.壬申の乱(672年)

壬申の乱とは、天智天皇の死後、天皇の子の大友皇子(おおとものおうじ)と天皇の弟の大海人皇子(大海人皇子)の間におきた皇位をめぐる争い。

争いに勝ったのは『大海人皇子』で、後に『天武天皇』になりました。




二択問題:藤原京をつくったのは?

A 聖武天皇
  B 持統天皇











答えは、Bの『持統天皇』です。

藤原京は、持統天皇が694年にに遷都され、元明天皇の代に平城京に移されるまで、首都として使用されました。

以下、橿原市HPより

1300年前、ここ橿原市は日本の首都だった。

大和三山に囲まれたなかにつくられた日本最初の本格的な都、これを「藤原京(ふじわらきょう)」と呼ぶ。

藤原京の中心、すなわち都の中心には「藤原宮(ふじわらのみや)」があった。

宮には天皇の住まいと国の政治をとる朝廷があり、いろいろな役所もあった。

そこで、政治の基本となる法律が制定され、最初の銭貨が発行された。

そして16年後、短くも充実した役目を終え、藤原の都は、平城京へとうつっていく。

橿原市HPの該当ページです。

大津京も藤原京も短い期間の都だったのですね。










今週の確認問題!(ヒントは、このブログに掲載しています。)

Q.初の戸籍を何と言いますか?

Q.壬申の乱は、いつおこったの?

Q.壬申の乱に勝ったのは?

Q.滋賀県の県庁所在地は?

Q.藤原京をつくったのは?





posted by 高校受験:社会対策(応援)委員会 at 08:30 | 歴史
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